一人称とイベント絵

ドラ師匠と演出について色々話していると、当たり前と思っていた所がそうでなかったり、こちらが抵抗のある描写が普通だと言われたりして、なかなか落差があって面白いですな。

で、いろいろ話している時に「なぜ一人称のコンテンツなのに、エロシーンで自分が写る角度での絵が入って違和感が無いのか」という話になりましてな。
考えたら、仮説が出てきました。
「物語というのは、想い出話である」という物。

物語では、こんな文を入れるときがあります。
>その時の僕は、彼女の言った事が何も解っていなかった……。
これはどんな文かというと、その物語があった時点から遥か未来の時点で回想してる文なのですな。
また、
>殴った。殴りつけた。
などと、物語の地の文は過去形になっております。

つまり、物語というのは回想形式で作られているのではないかと。
特に一人称の形式は、語り手が物語が終わった未来の時点で、回想してる形で語られている気がしますな。

想い出の中の光景は、現実に見てる風景をそのまま呼び戻す事もありますが、ある程度の心理加工が入ったりします。
たとえば、私が子供の頃の運動会の借り物競走の風景を思い浮かべると、子供の私が「カーディガン」が解らなくて右往左往している光景が出てきます。
この光景には、子供の私が絵として居ます。
昔の事なので、記憶を呼び出すときに補正されてしまうわけですね。

つまり「イベント絵」というのは、想い出の中の強い光景を描いた物なので、「語り手の近距離ならカメラを自由に配置可能」とのルールを導き出せそうですな。

なかなか深い議論が出てきて、多人数での製作はおもろいです(^^)
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by sakananovel | 2007-02-13 10:04 | 同人ゲーム製作


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