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スーパーモード入り

あと二週間の時点でスーパーモードに入った感じ。
なんで巡行で製作できないのかなあ?
せっぱ詰まらないとエンジン掛からないです。

とは言え、スクリプトを切りつつ立ち絵やCGを製作しております。
来週中にスクリプトを組み上げて、パッケージやらポスター製作に入りたい所ですな。

とりあえず立ち絵の差し込みなんだけど、さすがに枚数増えてきたので表情表を作る事にしました。>>>こんなもの
表情が一目で見れるので便利ですね(^^)
立ち絵の表情を増やすのは意外に簡単で、眉、目、口の三パーツの組み合わせで、簡単につくれたりします。本当はポーズも変えたいのだけど手間が大変でねえ。
新旧の立ち絵のクオリティあわせとか、頭の痛い問題が一杯であります(^^;

犬子私服。
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半端さんのバナーをトップページに張ってみた。
……。うちの構造だとそんなに気になりませんな。MAXきららでも(^^)
半端さんは面白いゲーム作ってますので、是非行って体験版で体験してくださいねー。
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by sakananovel | 2005-07-31 21:44 | 同人ゲーム製作

鏡先生のシナリオ公開講座に行ってきた。

朝十時に家を出発。上野でお昼ご飯を食べて、十二時に堀切菖蒲園駅に着く。
講座は一時なので、時間が一時間余る。
仕方がないので堀切菖蒲園まで行ってみる。
……菖蒲の季節でないので、園内200種五千本の菖蒲は見事に葉っぱだけ……。
稲の生えた田んぼのような菖蒲園内を無駄に歩いたのだった。

一時から鏡先生の講義でした。
始まる前に先生に「新刊おめでとう」と言われて私は恐縮し、なぜか言い訳を始めるのでした(笑)

授業が始まります。
今回の講義は「官能術Ⅱ」四回目にやった「官能術」の続きであります。
分厚い資料を配付され、それを読みつつ具体的なポルノ文章について講義が続きます。
日本の中でもポルノの文章についてこんなに真面目に講義する講座はここだけですよ!

夢枕獏センセや菊池英行センセの文章とポルノ作家の綺羅光センセの文章を対比させつつ講義は進みます。
なるほど、同じエロでも一般小説とポルノ文章では文の寄り方、描写の仕方がちがう訳ですよ。
クローズアップとスローパンがポルノの決め手らしい。
うーむ為になるなあ。

今回はポルノ小説とエロゲー文体の対比なども講義。
ポルノ小説>コントラストや対比を使ってエロくする。
エロゲー>前の文章が消え失せる特性があるのでセンテンス間の結びつきが弱くてもオッケー。

等々、四時間みっちりの実りのある講義でした(^^)

講義の後は上野に出て飲み会でありました。
色々濃い話をいたしました(^^)
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by sakananovel | 2005-07-31 01:01 | 講座がらみ

オブジェクト指向の物語

作業が煮えるとすぐWEBサーヒンを始めて、時間を無駄にする癖は改めなければなるまい。ラ研行って質問に明快に答える、ほがらかなお兄さんになっている場合ではないのだ。

で、サーヒンしてたんですが(笑)
うちのプログでうだうだうだと語っていた物語の話なんですが、他の所でもやってる人がおりまして、似たような記事がありましたよう。

本マグロ

最初はエロゲー文体についての記事リンクで発見したブログだったのです。しかし、ここの人が何のゲームを作っているのか、それよりも誰なのかも解りませんでした。
ブログをたぐってたぐって読んで行きましたら、どうもpmokyさんという「海も山も嫌いだ!!」な大学院生の方で研究としてエロゲー型アドベンチャーツールを研究している模様です。
その製作の過程で物語についての考察があり、エロゲー文体の考察もあるわけですな。
実作に参考になる意見が沢山ありましたですよ。

StoryGeneratorと言うのがそのツールなんだけど、説明を読んでいくと、どうもキャラクターを設定してパラメーターの関わり合いで物語を作ろうという実験の模様。(ガンパレード型自動作成というかんじかな?)
すげー、出来上がったらすげー。世界の物語が変わるほどの事件になるですぞ。
小説にしろ、映画にしろ、物語というのは線形構造なわけです。順番にしか生成する事が出来ないわけですよ。
しかし、StoryGeneratorが部分的にでも成功すれば、放射状に物語が自動作成出来るようになるのかも!
今現在はVer2.0を開発中の模様です。ちょっと注目していきたいと思いますよー。(サカナの仕事をすれ>俺)
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by sakananovel | 2005-07-29 10:46 | 同人ゲーム製作

大いなる助走が好きだ

時々読み返す本がありまして、それがこの
筒井康隆「大いなる助走」であります。

どんな話かというと、日本に文壇と呼ばれる物があった時代に、ある地方の小説同人サークルがあって、そこに新しく入った作家志望の青年が、奇天烈な人々と出会ってどたばたと転がり回るとういう感じの話。
筒井康隆先生の創作感とか文壇に向ける皮肉な視線とかが出ていて面白いのです。

とりあえず、一番感銘を受けたセリフを引用してみましょう。

>「そもそも小説を書く、というのは自分以外の他人に読ませる為に書くのであって、そうでないのなら書く必要はありませんね。自分ひとりの為に書くのなら日記でいいことで何も小説という形式にする必要はない。小説という、自分以外の他人にとって日記以上にわかりやすい形式で書いたというそのことがすでに、他人に読んでほしいという願望のあらわれなのですからこの点で議論の余地はないと思うんです。その証拠に完結した小説の原稿をそのまま誰にも見せず、自分ひとりで馬鹿みたいにかかえこんでいる人はあまりいません。いてもそれは発表する機会がないか、いずれ書き改めようとしているかのどちらかであって、時おり取り出して自分ひとりで読み返して泣いたり笑ったり感動したりして、それで満足している気ちがいみたいな人はいません。発表するには未熟で恥かしいからという、現代では数少いそういった奥床しい人でさえ、知人の誰かには読んでもらっている筈です。したがってさっきおしゃったような、自分の世界の確立とか自分との戦いとか、または書くことが即ち生きることだといったようなものは小説を書く動機としてはすべて、他人に読ませたいという動機に次ぐ二次的なものです。それらはみな読者が存在するという前提条件によって成立する動機だからです。小説を書く以上あくまで読者がいちばん重要な問題であって、作者以前に読者が存在するといっていいくらいです。当然、作者が読者を選ぶのではなく、読者が作者を選ぶのです。おれは読者を選ぶなどという作者がいますがナンセンスです。その読者は選ばれたのではなくあべこべに作者を選んだのです。優秀なひとにぎりの読者で満足だとか、数人のあるいはたった一人の読者の為に書くのだ、などということばもナンセンスで、これはその作者を選んだのが数人のあるいは一人の読者に過ぎなかったということに過ぎません。その読者たちが本当にすべて優秀かどうか、これだって自分の読者はすべて優秀だと思いこみたい作者の世迷いごとで、作者にそんなことがわかる筈はなく、もともと作者には関係のないことで、読者がたまたま優秀であろうが低劣であろうがそのどっちでもなかろうが作者には文句は言えないのです。ただ、優秀な読者をできるだけたくさん得ようと努めることはできます。大勢の人に読んでもらえばいいのです。少数より多数の中に優秀な読者が多いことは確かですからね。一人より十人、百人より千人、一万人より十万人というわけです。換言すれば生原稿よりは活字、同人誌よりは商業誌、少部数の自費出版よりは大出版社からのペストセラーということになります。同人誌作家の人たちはよくベストセラー小説を馬鹿にしますが、そこにはそもそも最初から、さき程申しました小説を書く一次的動機と二次的動機をとり違えた、いわば価値の本末転倒があって、それが原因なのですね。いい小説を書こうとする努力は多くの優秀な読者を得ようとする努力と不可分離のものであって、このどちらかが欠けている人にはそもそも小説を書く資格がない。過去現在を通じていかなる大作家もこのふたつの努力を共に怠らなかった。というよりむしろ彼らにはひとりでも多くの読者を獲得したいという常人に数倍する並はずれた強い願望、それはもう、ぽとんど焼けつかんばかりの想いがあり、そのきちがいじみたエネルギーが彼らに大傑作を書かせたといえるのです。大作家に限らず職業作家になった人すべてはこうした強迫的ともいえる衝動を持っていたのです。盆栽作りを楽しむようにこつこつと小説を作ること自体が楽しみで.限られた人にしか読まれなくていいと思っているような人はもうそれだけで小説を書く資格を失っています。つまり小説を書くのを道楽だと思っている人はすでに小説を書くのに必要なエネルギーの大半が欠けているわけで、こういう人の書いたものは小説の形はしていても小説ではない。文学のようで文学でない。それは何かといえば何でもない。小説を書こうという精神に欠陥があるからです.是が非でも商業誌、否が応でも文学賞という気迫がない。たとえ地道な努力や地味な題材による小説でも、それ故にこそ文学賞を受賞しベストセラーになり得る場合があるのですからね。賞やベストセラーを狙って書く事が発想の純粋さを妨げるなどと言う人がいますが、逆です逆です。たとえ同人誌作家といえどもその初心はといえば多くの読者に読まれ正当な評価を受けることが目的であった筈なのに、人によって違いますがある長さの期間文壇ジャーナリズムから認められなかった場合たちまち不貞腐れてただちに商業誌への応募などをやめ、それどころか応募する者を馬鹿にしてそんなものは徒労だ時間の浪費だそんな無駄はやめうと言い、たまたま身近から文学賞を受賞した者が出れば。口を極めて罵倒し、名声など副次的なものだ、文壇ジャーナリズムに文学はない、わしは好き勝手をやる、ジャーナリズムとの結びつきは欲しない、わしは別のルートで文学理念をうちたてる、時流には乗らない、東京文壇にはない新しい文学を書くのだなどとほざきはじめやがるのだ。糞くらえ。あ失礼。うんこを食べなさい。それこそ初心を忘れた不純な発想です。文学に別のルートなどあるわけがない。現代に生きていながら現代感覚を持たないという、信じられないような精神障害者がいて、そういう人の書くものが時流に乗らないのはあたり前です。その人だって生きている限り肉体的には時流に乗っているのですからね。本当に東京文壇にない新しい文学が生まれたりしようものならたちまちそれはベスト.セラーになっているのです。ところが不幸なことに同人誌というのはえてしてそういった馬鹿なことばかり言う欠陥のある人たちが牛耳っている場合が多いのです。マスコミで作られる文学状況を突き破るのだと称して同人誌が商業誌的になるのを極力警戒し、センセーショナルな作品を作品本来の価値でなくいかにもマスコミ受けを狙った商業誌に載りそうな作品だからという理由だけで非難し、土着の思想こそ同人誌の道とばかりに地方色ゆたかな作品は必要以上に褒めて優遇し、本業に根ざした文学こそ同人誌作家の文学だというので職場文学的な作品ばかり書くよう奨励する。さちに文壇予備軍といわれるのが厭さに同人誌は文壇予備軍ではないと宣言し、文壇予備軍的な性格を同人誌から追放しようとしていますが、こういういかにも世を拗ねたかに見えるひねくれた考え方がますます、同人誌の中から職業作家を生み出しにくくしているのです。最近デビューした新人のほとんどが同人誌出身でないことをひと眼見ればこれは歴然としています。同人誌に加入した新人はたいてい、同人誌によって、小説を書く為に必要不可欠の一次的動機を悪と決めつけられ、これによって文壇にデビューしようとするエネルギーを奪われてしまうからです。これは出てくる新人をできるだけ早く骨抜きにしてしまって文壇に登場させまいと足を引っぱる古手同人たちの陰謀でもあるわけですが、本人がそれに気づくのはたいてい同人誌の毒にどっぷり首まで浸ってじまってからなのでもはや間に合いません。ところが文壇ジャーナリズムを悪くいうこういった同人誌の古株連中、自分の小説を世に出したいという気持がまったくないかというとそうでもない。あるのですあるのです。なにしろ小説を書いている以上は多数の読者に読んで欲しいという一次的動機が完全に失われたわけではありませんからね。そもそもそれがなければ小説など書けるものではないので、やっぱり心の底では燥り続けているのですよ。で、こういった連中がその気持をどのように歪めて表現するかというと、おれの死後おれとおれの作品の上に、必ずや世に認められる日が訪れるであろうと、こう言うのです。自分が死んだあとのことだからいくらでも無責任なことが言えるし、また他人にそう言いふらすことによって自分を納得させでもしなければ小説を書くエネルギーを完全になくしてしまう。まったく人間の心理機構というものは便利にできているもんですな。ははははは。はは。ははは。は。こういう連中の持ち出してくるのがいつも決まって梶井基次郎なのです。彼を見ろ。一生同人誌作家として報いられることなく死んでしまったが、作品は死後評価され、近代文学の流れにひとつの展開を付加したではないか。わしの作品もそうなるのだ。な、な、何を言っとるのか、あんな人は例外であって、そもそも死んだのが三二歳の時です。まともに生きていて作品を発表し続けてたなら、あんな天才的な作家です、必ずやあと数年で世に知られ、多数の読者を得ていたでしょう。文壇ジャーナリズムを甘く見ちゃいけない。文壇ジ々ーナリストこそ最高で最優秀の読者なのですそ。いいものは見逃しません。たとえ農民文学であろうと職場文学であろうとプロレタリア文学であろうとです。いいものはいい。悪いものは悪いのです。梶井基次郎だって、死ぬ一年前ではありますが生前すでに武蔵野書院から作品集が出ていたくらいだ。だいいちそこいら辺の地方同人誌のうす馬鹿どもとは人間の出来が違う。あの人はわたし同様東大出身です。同人誌作家とは言えその同人誌たるや中谷孝雄、外村繁、北川冬彦、三好達治、飯島正という、鐸鐸たる人たちが集まってやっていた『青空』ではありませんか。そんな凄い同人誌など今はもうどこにもありませんよ。どだい何もかも比較にならんのです。死後名声を得るだろうというが、その名声は誰によって得るつもりか。文壇ジャーナリズムによってしか得られないではないか。誰が得させてやるものか」口から泡を吹きはじめた。「死んだって無名のままなのだ。それを思い知らせてやるぞ。生きている問にそのことを思い知らせてやる。苦しめ。泣け。悲しめ。初心を忘れた罪だ。純粋さをなくした罰だ。ひねくれて文壇を馬鹿にしたばかりに、もう死んでも浮かばれないのだぞ。お前らの書いたものはすべて永遠に反古だ紙きれだ日の目を見ないのだ。いい気味だ。ひひ。ひひひひひひひ。ひひひ。ぐ」興奮のあまり牛膝は眼を吊りあげ上半身を硬直させて畳の上へ仰向きに倒れ手足をひくひくと痙攣させた。<

まあ、長いのですが、小説を同人ゲームに置き換えても耳が痛い下りでありまして(^^;
後半はどたばたになってしまう作品ですが、大いなる助走を行っている人たちの姿は、なかなかいたましくて、切ない文学でありました。
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by sakananovel | 2005-07-28 14:47 | 読書

本読みの習性

なんでサカナの追い込みの時にそんなに本を読んでいるのだ、というつっこみが入りそうな今日この頃ですが、それは本を読まないと死んじゃうからですよ。
本読みはサメみたいな物で、毎日本を読まないといけません。
すげーとか感心してくれる人がたまにいますが、別に読むのが楽しいから読むのでして(^^; 読子さんと一緒な訳ですよ。
本読んでるからエライというわけでもなくー、読んだ端から忘れていますしなあ。

最近読んだ本
ガルシアマルケス 「愛その他悪霊について」
髪の毛が足下まである14歳の野性萌え萌え少女と図書館神父さんのラブラブ話でありました。
「百年の孤独」に比べるとちょっと落ちるかな、でも萌え萌え。愛ですな愛。

逢沢 明「ゲーム理論トレーニング」
ゲーム理論を平明に説き明かした本。なるほどー、ゲーム理論とはこういう事だったのかと直裁に解ります。大元は兵法だったりするのね。これはお勧め。ゲーム作りにも応用可能だし、キャラクターの動きにもシミュレート転用可能ですな。基礎教養としてゲーム理論を理解するなら凄く良い本ですよ(^^)
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by sakananovel | 2005-07-28 09:30 | 読書

クオリアとテーマ

「クオリア」と「クリオネ」を間違えがちなのである。
クリオネというのは、北の海でうぞうぞ蠢く透明な軟体動物で貝の仲間であります。
クオリアというのは、ある言葉を聞いた瞬間に我々の脳内に浮かび上がる質感のような物ですね。

「イチゴ」という単語を目にした我々は、一瞬で「赤い」「独特の形」「口に含んだ時の甘酸っぱい味」「噛んだ時の感触」などのイメージを意味記憶から想起します。この印象こそがクオリアと呼ばれる物なのですな。
良い小説が映像を伴うイメージを喚起できるのも、このクオリアの働きから説明出来るような気がします。
つまり、良い小説とは「クオリア」を喚起しやすい単語を並べて、ある特定イメージに誘導する力が強い。こう、言っても良いと思います。

「道がつづれ折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた。」(川端康成:伊豆の踊り子)

これをクオリアで分解すると。

道:続く道路、長い。
つづれ折り:くねくねと曲がっている感じ、(ちょっと疲れる?)
いよいよ:つづれ折りにかかり、強調
天城峠:伊豆の地理が記憶にあるなら、地図上のポイント想起。
思うころ:時間の経過、道にかかり、つづれ折りにかかる
雨脚:雨の音、水の匂い
杉:杉の匂い、杉花粉、独特の形
密林:密集している、薄暗い
白く染めながら:密林のクオリアと逆転強調、杉と雨脚に色を付ける。
すさまじい早さ:移動の感触、雨脚と杉にかかり、ザーという音を想起させる。
麓:上下感覚の下方向、里、平地
追ってきた:移動の方向、軽い焦り

という具合に、クオリアで複数のイメージを一定のリズムで発生させながら、脳内に画像を作って行くわけです。
この一文を美しく感じるのは、イメージの流れに余分が無く、全体の映像が綺麗に浮かぶからだと思います。

つまり、文章表現というのは
作者の脳内イメージ>作者のクオリア選定>文章>読者のクオリア刺激>読者の脳内イメージ着 という流れでイメージを伝える仕掛けなんでしょうな。

そしてコンテンツでテーマを伝えるということは
作者のクオリア>場面の映像>シーンのテーマ>章のテーマ>作品全体のテーマ
という感じのピラミッド構造を作り、全ての要素をテーマに向けて方向を揃え、意味を収束する、そういう動きになっているのでないかと思います。
こう考えると「物語に余計な物は入れない」とか「全てが連動するように」とかの物語ノウハウが、なんとなく実感出来ると思います。

物語の最少単位はクオリアではないかと提言して、この記事を閉じましょう。

クオリアについて詳しく>>>
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by sakananovel | 2005-07-27 10:52 | シナリオがらみ

久しぶりに講座レポ(ライブ)

今日は米光センセの講座のレポートです。

まずは生徒さんの選択枝物の発表から。

①まつながさんのアマゾンランダム分岐。
 アマゾンの本を選んでくれるという物。おもろい。

②村上さんのルーレット物と選択物
 ツッコミが入っておもろい。

③たかぎさんの虫とりフラッシュ。
 花か蝶々の二択、妙な感じでおもろい。

授業に入り、サイコを見なから、物語構造の解説
 オープニングから分断というテーマが出ているとの事。
 (補強:分断ではなくて分裂ではないだろうか、分裂病というのは海外の心理学用語の直訳と聞いているのでサイコ=きちがい=分裂という直截な比喩なのかも。ちなみに現在は総合失調症に名前が変わったそうです)
 ヒロインは大物女優。
 ヒロインのオフィスにある絵も暗喩しているものがある。
 ヒロインが罪を犯すと、下着も黒になる。
 オフィスにある絵はヒロインの行く場所を描いていた。(サブリミナルなのね)
(補強:ここら辺も単に凄いテクというよりは、ヒッチコック凝りすぎと言うべきでは? 素晴らしく効いている訳でもないような。二回目みるとき面白いけどね)
 ヒロインの突っ込みどころがたくさんというテク。
 サイコの前半は主人公であるヒロイン視点で描かれている。
 ヒロインのボイスオーバーで感情移入。
 いやいや、うまいなあ、ヒッチコックは。
 「雨」「ワイパー」「女のしかめ面」
 気味のわるい館。
 偽の名前と本当の名前。

 情報と実感。
 堀江安兵衛の敵討ち>情報
 野次馬が騒いでいる事>実感
 映画は実感を伝えたい。
 「雨」「ワイパー」「女のしかめ面」はシャワーシーンでの予兆?
 ヒロインが沈む沼もオフィスにある。
 二重人格がテーマとして分断のイメージを流し続けている。
 オフ。人物がいないのに声が聞こえる。
 ベイツの内声(ボイスオーバー)で観客に不快感。
 順々に感情移入のルールを出して、順化させている。

 1/銀河 を表現するために色々なテクニックを使っている。

 観客>映画を見る。>登場人物に感情移入する。
 ラストにベイツが母親と憑依することを、観客と映画の関係を相似で表現している。のではないかとのこと。
 
 うーむ、ライブでの映画の解説は面白いね。

 小説や映画の線系の物語と、ゲームとしての面白さは違うのでは? という意見が見学のアニメージュの編集さんからでていました。

Q: バロックの実感とは?
A: Little wishにしようとしましたので、グロく、暗い実感を描こうとしました。

Q: 実感はどこから入れるか?
A: どこから入るかわかりません。企画段階から入るの物もあるし、無意識に入るものもあるのでしょう。
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by sakananovel | 2005-07-26 19:47 | 講座がらみ

立ち絵描き中(後半)

よっ、て感じの針金さん。
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なんか出番の増えた犬子。
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by sakananovel | 2005-07-26 01:06 | 同人ゲーム製作

白魔法と不死身と物語

魔法を含む物語にとって厄介なのが、回復、蘇生をする白系の魔法です。
RPG等には必ず出てくる魔法なので、小説や漫画などでも使いたくなります。
でも、安易に白魔法を出すと物語の破綻の元となります。

物語にとって、怪我や死というのは一番スリルを発生させる大事な装置なので、作品内に強い白魔導師が一人いるだけでスリルな感じが無くなってしまいます。
「私は白魔法使いなんですよ」
 と白魔法おねいさんが出た瞬間、読んでる人は(ああ、これで何があっても主人公は死なないのね)とげんなり、どんなに派手で凄い戦闘を描写しようと盛り上がりません。
小説系の物語には、強力な白魔導師は出さないのが無難です。

不死身

似たような使いにくい能力で「不死身」というのがあります。どんな傷を負っても直っちゃう奴ですね。
これも微妙というか、味方側にこの能力を持つ人間が居るとまず戦闘が盛り上がりません。
無敵モードでゲームするようなもので、作業の様な感じになっちゃうわけですね。

物語の戦闘は「やるか、やられるか」「勝つか、負けるか」でハラハラしながら見る物で、「絶対勝つよなー、これは」という戦闘シーンほど眠たくなるものは無いわけです。
不死身は本人の属性であって、これで敵に勝ったからといって、本人が偉いわけでもないし、「敵に勝利」した感じがしないのですな。

不死身が使えるとしたら、物語で一回だけ、最後の最後に「俺は不死身だったのか!」と気がつく型と、ジークフリード系の、不死身なんだけど、一箇所だけ不死身で無い部分があって、それを敵に突かれて死んでしまう型ぐらいですかのう。
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by sakananovel | 2005-07-25 10:56 | シナリオがらみ

ガルシアマルケスの「百年の孤独」を読んだ。

いやああああ、オモロイ。ノーベル賞文学と聞いて構えていたのですが、オモロイ。
「物語の作り方」でガルシアさんがストリーテラーだと解っていましたが、こんなにオモロイとは思いませんでした。
お勧めというか、必ず読めっ! 命令だ。
と言うぐらい面白かった。

南米の架空の村マコンドの名家の百年に亘る物語なんですが、出てくる人出てくる人キャラ立っていてオモロイ。
人殺しあり、憎しみあり、愛があり、欲望があり、悲しみがあり、幽霊があり、超能力があり、内乱があり、裏切りあり、虐殺あり、虫が一杯(お風呂でサソリによく噛まれる)
南米の暑苦しい風土で暑苦しく狂おしく一族は繁栄しそして衰退していくダイナミックな物語です。
かなり現実的な事件が描写されると思えば、その次には幽霊が家をうろうろするわ、鉄道がやって来たその次には、ヒロインが風に乗って飛んでいってしまうわ、リアルとファンタジーのモザイクが凄く綺麗。
綺麗で切なくて猥褻で悲しくておかしくて読み終わるのが勿体なくなりました。

地の文ばっかりで、セリフも少ないし、読みにくいといえば読みにくいけど、慣れるとはまります、この高速文体は。
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by sakananovel | 2005-07-25 09:31 | 読書