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現代思想は迷惑だから。

ラベリング、という言葉があります。
まあ、瓶にラベルをはるように、事象に名前を付ける事で解りやすくするという思想です。
謎の奇病から、インフルエンザになっただけで、かなり安心感が違います。
狐付きから、精神疾患にラベルを付け替えるだけで、かなりオカルト臭が消えます。
現代思想でもラベリングがあるんですが、結構実体に沿っていないラベルがあります。

たとえば、ポストモダンは時代や世界等の大きなものにつけるラベルとしては優れているのですが、
オタク界隈というミドル層につけようとすると、色々矛盾します。
たとえば、大きな物語が無くなったから、大ヒットは減少した。という意見があります。
これは、「秋本さんも歌謡曲でそういう動きがある」と言っていた。という情報で補強されました。
……。
オタクアニメ業界では、ガンダムあり、エバあり、マドカありで五年おきぐらいで大ヒットしてますけど。
漫画だと、国民的にワンピースがヒットしてるんですけど……。
もう、これでオタク界隈にポストモダンの影響が少ないというのが立証できると思います。

そして、現代思想界隈で使われるラベルで弊害が大きいと思われるのが「消費」です。
キャラを消費する、物語を消費する、消費されるから、データベース状に、消費行動を起こす。
などと言われますが、この消費が、間違ったラベルです。

この物語消費の起源は、大塚英治さんの「物語消費論」です。
ビックリマンチョコのシールに付いた細切れのような物語を、オタクは消費する。
という、物だったのですが、そのころ私もかの論を読みました。
「些末でばっかじゃないの」と思ったのを覚えております。
結局そのあと、細切れ状の物語は、ビックリマンだけの局地ブームとして終わりました。
その間も、普通のオタクコンテンツは作られ、鑑賞されて行きました。

オタクコンテンツは消費されません。鑑賞されるだけです。
物語のキャラクターは消費されません。好きになってファンになるだけです。

ビックリマンチョコのシールという形から「消費」という言葉をラベリングしたのでしょうが
この言葉が、今の現代思想を迷走させています。
消費というのは食材や燃料の消えて無くなる物に対して使う言葉です。
車は購入しますし、映画は鑑賞します。
どうして消費できない物に、消費とつけてしまうのでしょうか。
この語感のため、オタクコンテンツを消費する、という行為は、普通に鑑賞するから、浪費、蕩尽、消滅な感触を含む行為となっています。

そんな事はありませんでしょう。
オタクのみなさんは、ずっと、普通に、それこそ高校の国語便覧にあるような普通の鑑賞姿勢で、アニメを見、漫画を読み、イラストを見ています。
それは鑑賞であって消費なんかしてないのです。
漫画は読んでも、消えて無くなりません、繰り返し読めます。
アニメキャラは見ても、消えません、何度でもDVDで再生できます。

なんで、オタクは物語やキャラを消費してるなどの、超特殊行動をとっていると言いがかりをつけるのですか?
そんな現実に即してないラベルを使って作った論が、現実を捉えられるとは思いません。
すごく些末な萌の一部分や、カテゴリー分けを持って消費している等の論は、オタクの一部にしか合致せず、普通の鑑賞姿勢で普通に楽しんでるオタク層には全くかかわりの無い話です。
ちなみに、消費の変わりに鑑賞という普通語を入れ替えれば、現代思想の欺瞞性が一目瞭然です。
「物語鑑賞論」「データベース鑑賞」
ね。なんだかイメージがたわむでしょ。

オタクさんが普通でない行動を取ってくれないと、論文として面白くないわけです。
ですので、現代思想の論文では、オタク達は動物化し、萌キーワードに沿ってオタクコンテンツを消費する、なんか変な生き物になってます。

そして、オタクを異人化して書いた論文を読んだ馬鹿な現代アート界隈の人間が、「物語やキャラを消費して変な事をしてる奴らが、運良く隆盛を極めてやがる、あんな変な奴らは動物化してて人間じゃないから別に色々パクっても問題ないよね」という具合に、まるっと盗作してお金儲けしようとする訳ですな。

現代アートの擁護している人と、何回かネットで対話する機会があって、面白かったのですが、必ず彼等はオタク側を非常に馬鹿にしてる訳です。
ちょと普通の疑問を投げると、非常に狼狽して、なんだか凄い難しい用語を使ってゴチャゴチャ言います。(意外に素朴な疑問に弱い感じがしますな)
それでも、矛盾点をつくと、結局黙って逃げてしまうんですな。

どうも、オタクの事を知的に下の存在と無条件に信じ込んでる感じがあって、それは、現代思想で表現された動物化してるオタクさんを現実のオタクさんと間違えてるからではないかと思うのですよ。

現代思想自体も物語で、しかも、間違った前提において作られた架空の楼閣なんですな。
べつに、そういう物で遊ぶ事を否定はしませんが、近隣の現代アートで、論文を鵜呑みにして、現実のオタク層に迷惑がかかる行為をする馬鹿が出てきた時点で、現代思想側とかで自己批判してほしい物です。
(現代アートと現代思想がどう関係してんの、という疑問が沸くでしょうが、今問題になっているカオスラウンジという団体のキュレーターの黒瀬氏は東さんの弟子にあたる人です)

という、感じで。
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by sakananovel | 2011-09-27 17:52 | どうでもいいこと

もうポストモダンとかどうでもいい。

さいかわドンのたれこみにより、データベース消費のウイッキペディアをよみましたぞ。

……。
些末なーーーっ!

というか、外形とかデータベース型消費とか、些末些末些末っ。
なんでいい大人の思想家が、そういうどうでも良いことに血道をあげて論文をあげてますかーーっ!

ムーブメントになってないじゃん。メンコ集めとそう変わらないじゃんよーーっ。

基本、どうでも良いことに思想資源ぶちこんでるんじゃありませんよ。
どんだけ日本の知識人は暇なんですか。

基本的にこういう些末は物語から出てくるもので、あんまりオタクのコアな部分と関係ない気がします。

で、本当の基本中の基本のポストモダンにしてから、大きい物語が終わるとか言いますが、物語なんですから終わりますよ、当然じゃないですか。
たとえば、日本で言えば、幕末に徳川の世という物語が終わり、明治の富国強兵という物語が始まります。
日露戦争をクライマックスに、富国強兵の物語は終戦で終わります。
そのあとは、経済成長という大きい物語が始まり、バブルにて終わります。

大きい物語は、始まって終わる物なんだと思います。
最近も原発は安全だという物語とか、政府の人は有能だという物語とか終わりましたね。

僕の中の、思想家は立派な事を考える、という物語もポストモダンして、今、こわれましたな。

だから、今、なんか小さい物語しかなくて、不安であると言ってますが、たぶん何か大きい物語が成長中なんだと思いますよ。(情報化時代とかなんか)
物語無しに人は生きられない物だと思いますので。

結局現代思想なんかは馬鹿ばっかという直感が正しかったという乱暴な結論で一つ。
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by sakananovel | 2011-09-26 01:21 | どうでもいいこと

650さんから、へびへび祭りのレビューがきました。

ポモ関係で恩師襲来で狼狽してましたが、650さんからもへびへび祭りのレビューを頂いておりました。

650の無味乾燥

おお、結構評判が良いです(^^)
やっぱ、エロシーンBGMが不評ですね。差し替えよう。

やっぱり同ソマラソンの方に参加して、モチベーションが上がりましたので、次回も参加しますぞ(^^)
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by sakananovel | 2011-09-25 02:30 | 同人ゲーム製作

ポストモダンが来てるか来てないか。つかオタク業界限定だよ。

鏡先生が来てくれたので、ポストモダンについて深く理解できました。
先生ありがとうございます。

で、考えが深まったので、さらに進めてみますね。

オタク業界にはポストモダンは来てないか、1980年代に来ていたか、どっちかではないかと。
思ったよりも大きい概念なんで、現象として捉えにくいみたいですね。
たとえば、大きい物語(国家的、未来への楽観)が無くなった、という観念から見れば、
高橋留美子がポストモダン的物語の先駆けではないかと。(手塚治虫かも)
ビューティフルドリマーとか、その時代ですね。
さすがにそんな昔から来てたならば、オタク業界の血肉になってるので、解りづらいです。

マルチエンディングがポストモダン的と書かれてましたが、その場合、始祖は「同級生」(エルフ)となり、1992年ですね。前世紀です。なので、たぶん、普通にゲーム上の発明だと思います。

ラノベのポストモダンは、ブギーポップでしょうけど、あれも、単なるターニングポイントなのか、ポストモダンの影響なのか。

さすがにポストモダンでオタクコンテンツを切り分けるのは、少々苦しいです。
この論で言うと、石ノ森章太郎だってポストモダンですし、ドラエモンだってポモでございます。
漫画、アニメコンテンツは色々と新しい表現、新しい表現へと切磋琢磨するものですから、努力=ポストモダンともなってしまいます。

オタクコンテンツは社会に影響される、ぐらいの強度なら、ポストモダンに影響されたと言っても良いかもしれませんが、特筆するほどの事でも無いような。

なんだかポストモダンというと、何かの強烈なムーブメントみたいな物で、大変な意識革命が起こったみたいですが、オタク業界に限っていえば、たいしたこと無いようです。

オタクコンテンツの基本は物語で、物語はそれこそ思想よりも宗教よりも古く、固いので、そういう意味で、「ポストモダンは来ていない」(オタク業界コンテンツには)でありますな。

オタクさんたち自身には、ポストモダンは来てるのだけど、じつは「技術を上げて成り上がる」という、古くて大きい物語が死んでないので、わりかしぶれない感じがしますね。

思想書を読んだり、触れたり、考えたりするのは、良いことで偉いのですが、鵜呑みにするのが嫌なので、私はあまり勉強してません。
私は浅薄で非才なので、自分の言葉で語らないエセインテリになるのが嫌なんですよね。
雑で、時々間違えますが、なるべく自分の中から出てきた言葉で喋りたいのです。

鏡先生が偉いのは、実作して、たくさんの人に面白い作品を読ませてあげて、さらに、後進へノウハウをプレゼントする気前の良さが素晴らしいと思います。
失礼ながら思想に頼らなくても充分、いや、思想家なんかよりもずっと偉い方だと思っていますよ。

今回のポストモダン関係の記事は、最初のツイッターの時点から、東さんの著作とかの評ではなく、カオスラウンジ関係の擁護でポストモダンがよく使われる(しかも自明のタームとして)ので、「なんか良く聞くけど、そんなもの来てる実感ないよな」という疑問から発しております。

そういう感じで。

*似た概念にニューウェーブがあるのだが、こっちは大友さんに藤原カムイさんと、作家を特定してムーブメントを指定出来る。
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by sakananovel | 2011-09-25 02:19 | どうでもいいこと

ポストモダンとか来てないから、きっと。

まあ、暇にあかせて色々ポストモダンについて調べてみた。

鏡先生のご本に書いてあるとの指摘が先生ご自身からあったので、「非実在青少年論」を買って読んでみましたが、……。ネットに書いてあることと一緒でがっくりしたり。
鏡先生は物語創作実務の解説に置いては当代一の人なんですが、思想については、まあ、普通というか、本を読んで勉強なすったのですなあ、という感じで血肉にはなってない気がします。
思想とか批評を高級な物としてあがめる事自体が、まちがいな感じがしますな。私見ですが。

で、ポストモダンとは何かというと、共産主義とか国家主義の大きな物語が終わり、細かい物語に世界が移ったという概念だそうな。
どうやら、外国産の思想らしく、実は元々日本はポストモダン的な社会ではないかとか言われていたり。
アメリカイギリスの一神教の大きな物語が終わり、マルクスとかの労働者への搾取とかの共産主義が勃興し、そのあと、共産主義も滅んで、資本主義が分裂、思想的にバラバラの小単位になった、という状況を表すのが、ポストモダンだそうです。

……。オタク界隈の創作物と何ら関係がございませんね。
アニメ界、漫画界には、まったく来てないような気がしますよ。
一番近いのはエバのような気がしますが、ポストモダンを貫こうとして、結局は敗北、新エバでは普通の物語ラインに懐古してるような。
あと、ポストモダン的なコンテンツってありますかのう。AKIRAはポストモダンというよりも、ニューウエーブですし。

小説では、ジェームズ・ジョイス『ユリシーズ』 らしいのですが、あれは、なんというか、現実を淡々と書いておもしろくない文学の象徴みたいなもので、物語を否定する事から始まるらしいのですが(未読) 物語を否定するとエンターテーメントにはならないので、エンタメのオタク界隈とは噛まないっすね。
漫画で言うと、ガロの作品群みたいなものなのだろうか。

まあ、たぶんポストモダンとかはオタク界隈には来てないので、動物化もできないのではと、考察したり。
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by sakananovel | 2011-09-24 17:35 | どうでもいいこと