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手を動かす事による発想

"「意識」とは何だろうか ―脳の来歴、知覚の錯誤" (下條 信輔) を読んで「ほほう」と思った事がある。
この本では思考というのは頭の中にだけあるのではなく、身体や環境を含めた、意識の流れ全体を思考と呼ぶのではないか、と主張しておられるのだ。
あー、なるほどなるほど、こうやって書くネタ無いのにエディタに向かうと、スルスルとブログ記事がまとまるのも、箱書きにするとシナリオが進みやすいのも、そのせいなのですな。
頭の中にあるものは思考の素のようなもので、それはまだ固まっていない物なのだ、紙に書き付けたり、パソコンに入力して始めて思考は形になるわけですよ。頭のなかでぐるんぐるん考えるよりも、書け、記録せよ、ということなんですな。
筆記、作図、陳述して始めて思考は完成する訳ですよ。
出来る学者というのは、思考とかしないでとりあえずなんか書くそうな。筆記や作図というのは、外にでた思考であるわけですよ。なるほどねー。

箇条書きとかすると考えがまとまるのはそのせいなのか。
考えがあって>>箇条書きにするのではなくて、
箇条書きを作る事によって、曖昧な思考が固まる。そういう感じの流れなんですな。

私は、他人様の出来てないゲームの粗筋とか聞くの苦手なんですが、これも、「頭の中にある筋は、まだ未完成で、聞いても詮無い」という本能から来る違和感なわけね。字に書いてまとめよという事なんだ。

シナリオとかの場合、迷ってないで書けばいいのですな。
人は普通、シナリオの執筆を最終出力と考えがちなんだけど、これは思考の一部なんですよ、書きながら考えを固め、作り出すわけなのですな。
これはなんか良い概念を教わった感じです。

というわけで、迷わず書け、手を動かしながら思考するのだ、それは正しい思考プロセスなのだ。
と主張して、どっとはらい。
by sakananovel | 2005-08-02 11:11 | シナリオがらみ


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